香港のデモの終わりとは?

香港のデモの終わりとは?

香港デモの終わりが見えない。香港政府は中国政府からの指令を受ける形でマスク禁止令という条例を発動した。これを破ると最大1年の禁固が課せられるらしい。

最近では学生の一人が警官に銃で撃たれて重傷というニュースも舞い込んできた。政治的正しさはともかく、実銃を使い始めると余計に収まりがつかなくなってくる気がする。自分は銃に対して無知な方だが、使用するならせめて某龍が如くの劇中に出てきたように、ゴム銃で気絶するぐらいのレベルの威力でも十分な気がする。

デモ側にしても、警察側にしても暴力は暴力を生む。悲しみの連鎖は止まらない。大国に振り回されてきた香港は独立すべきだと思う。昔はイギリス、現在は中国。人間の支配主義は悲しみしか生まない。これは内政による治安維持とはやや異なると私は考える。デモが長引けば長引くほど経済や治安は疲弊し、やがて焦土しか残らなくなってしまうかもしれない。自国民同士で争うのは無意味だ。

自分も昔功名心にとらわれていた時、世界を救う宗教や人種を超えたオープンソースを作ろうと考えていたことがある。しかし考えつかなかった。それは正しさの前提を決める際に、その正しさが個に寄ってしまうことである。すなわち、正義と悪を同時に救うことは理論上できないという当たり前の結果に帰納してしまうことだ。すなわち妥協案としての正しさを容認するならば、寛容の心を持ち、他者特に弱者に対して慈しみの念を持つということに他ならない。ただこれは市民の規範であって、組織的国家的正しさとは相いれない。帰属意識、権利意識、ナショナリティがこの世に存在する限りある意味人は真の幸福を味わうことができないのかもしれない。

香港デモはこの人類に対しての不幸せさの許容に対する一つの解を示すこととなるかもしれない。真の幸せと安息を願いつつ、見守りたい。

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