人は2000連休を与えられたらどうなるのか?

人は2000連休を与えられたらどうなるのか?

先日twitterのタイムラインを見ていたら著名投資家のDAIBOUCHOUさんがこんなツイートをされていた。

不思議と興味を惹かれ、『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』を購入してみた。

連休ないし休息とは身近にあってそれでいて不思議な存在である。自分が覚えている範囲だと長期休暇、と考えられるのは小学校の夏休みだろうか。常日頃からわりと真面目に登校する児童だったが、授業中はほぼ寝ているという自堕落な子供だったことを覚えている。人と話すのは嫌いでは無かったが、暇を見つけては図書館に籠もり図書館中の本を読み尽くした、そんな子供だった。年齢を重ねると人は未知の経験が少なくなり体感する時間は日に日に短くなっていく。(これをジャネーの法則と呼ぶらしい。)すなわち絶対的な休息の時間量は変わらないにしても徐々に体感的な休息時間量は希釈されていく。ましてや社会に出ることによってその絶対的な休息時間量すらも減少することは異論の余地が無いだろう。

映画『TIME』ではテクノロジーの発展によって老化を克服し、裕福な者は永遠を謳歌できる一方で、貧しい者は寿命のために働き続けなければいけない、という近未来を描いた。昔読んだ本の中で、時代は工学→化学→医学→地学の順に発展していくのでは無いか、なんて結論づけている本があった気がするが、寿命を司るテロメアに対する研究や遺伝子治療等が進んでいけば外傷的死因(交通事故や殺人)を除いてほぼ無限に近い命を謳歌することも不可能でない気もする。(食糧問題や人口分布、倫理的問題はこの際おいておく)ほぼ永遠を約束され健康体となった人類が行き着く先はおそらく退屈さの解消だろう。その意味で思考実験として追体験のできる本作は希少な存在でもある、とも言えるだろう。

休みの初期段階としてはめんどくさい人間関係やタスクから解放された喜びに満たされるという。この作者の特徴としては京大卒のインテリであること、最低ラインの人間関係が構築されていること、猫好きであることが分かる。昔同じ京大卒のphaさんが書いた『ニートの歩き方』に作風が似ている。散逸する思考を精緻な言葉遣いで理解しやすく描いているのは個人的に京大文学とも言うべきなのかもしれない。思えば『神のみぞ知るセカイ』の作者若木民喜さんも自分は愛読していたが、どこか緩やかに流れる世界観は共通するものを感じる。京都という風土がそうさせるのか、京大に特徴的な一人の天才を育てるからその他は早く卒業してね、というおおらかさがそうさせるのか分からないが、そう感じさせられる。

以前ネットの記事でニートを続けていた先にどうなるのか、という本書と似たパターンの体験談を書いている方がいた。同じように休みが続いた初めの段階では貪るようにアニメやゲーム、マンガの世界に没頭していたらしい。しかしそのフェーズも長くは続かず一年ほど過ぎるとだんだん堕落した精神の摩耗に自分自身が飽き飽きしてバイトをしてお金を貯め、世界旅行に旅立ちブロガーになった、なんてことを書いている方がいた。この作者も例外に漏れず図書館に行って本を借り、思索し、生活パターンを整えようとしている。三島由紀夫のエッセイを引き合いに出しながら半ば自嘲的・無意識的に己、というものを保持しようとしている。これは生命における自動作用なのか、この作者の内に秘めている生真面目さ、なのか分からないが納得できることもある。カナダのマギル大学のヘップから始まった感覚遮断実験では被験者の40%に幻覚を生じたらしい。視覚が遮断されると数分の内に脳の視覚野が興奮するそうだ。病理的な幻覚、というよりも健康な反応として生じるそうだ。今考えられている仮説としては、覚醒水準が低下し、夢などと覚醒時の体験を混同していること、もう一つは遮断の際の原始的な恐怖感が投影され、幻覚として体験される、といったものだ。催眠や洗脳の世界で被験者のベースを作る変性意識状態も生まれやすい。もといこうした研究は朝鮮戦争後の中国軍によるアメリカ兵の洗脳による思想改革教育を発端として生まれたものなのでそうおかしな話では無い。すなわち我々は思ったよりもじっとしていられず、情報や行動による刺激を求める生き物だ、ということだ。作者もお金を使わずに暇を潰す行動を模索しており、記憶のデータベースを作り始める辺りを見ると非常に細やかで完璧主義なところが垣間見える。自分自身は適当なので同じ環境に置かれてもここまではできないだろうな、と読んでいて思った。ただこうした作業が自己内省的に自分の秘められた感情を整理するきっかけになった、と思われる下りは同調する。人間無意識的にでもトラウマやストレスといったものを特定できずに抱え込んでしまい心のダムが決壊して壊れてしまう人も少なくない。こうした思考のデトックスは我が身に置き換えても必要だな、と感じさせられた。

この後も記述は続くが、その続きは本書を読んで確かめて欲しい。自分が得た結論としては外的刺激が薄まり無限に近い時間を与えられると否が応でも人間は己を見つめなければいけない、と言うことだ。適度な休みは心身の調整をしてくれるが、そうでない長期的な休みは不完全な己、という存在を見つめなければならない。以前著名投資家のテスタさんが紹介していて話題になったアキラ先輩によると使い切れないほどのお金や時間を持っても軸が無ければ幸せになれない、といったニュアンスのことを語っていた。イーロンマスク氏もあれだけの巨額の財産を持ちながらミニマリストとなり、今の置かれている現状が幸せだ、と語っていた。結局人生とは己を理解し、社会という環境において己を活用することのみにおいて本質的な楽しみを体感するのかもしれない、そう本書を読んで考えさせられた。

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