【雑記】運(Luck)を考える。

【雑記】運(Luck)を考える。

最近布施川天馬さん(@Temma_Fusegawa)のプレジデントオンラインの記事を読ませていただいた。内容としては”親ガチャ”という言葉が流行っているけれど、自分は逆境にも負けずに東大に合格しました、というありがちではあるが、読む人の心を打つ良い記事だった。その直後にTLで流れてきたまとめサイトにも同記事が取り上げられており、反応を見てみるとどちらかというとやっかみや否定する言葉が散見されていたのが意外だった。以前CNNの記事にてポール・ゲティさんのことを紹介させていただいたが、つまるところそれが金銭的充足であれ、才能的優位性であれ、何かしらを相対的に持つモノは持たざるモノに嫉妬される、そんな世の因果なのかもしれない。

ポールゲティさんについての記事はこちら。
御本人様からいいね、を頂いた。

我々が自己を確立するとき、容姿、頭脳、手先の器用さ、金銭、人間関係などを相対的に把握することとなる。容姿に関しても満足できなければ今の時代美容整形という手もあるし、他の事柄に関してもなんらかしらの代替手段はありうると思う。しかし、先天的に持ちうる才だったり、他人からは努力した軌跡見えず、結果や現時点での姿しか見えない、という観点からはやはり嫉妬は必然的に生まれてしまうと思われる。自分自身を振り返っても、他人に向ける嫉妬のエネルギーよりも自分を克己すべき、と自戒していてもゼロにはなり得ない。

読んではいないが、マイケル・サンデルさんの著書に『実力も運のうち 能力主義は正義か?』といった本が並んでいるように、能力や結果を引き出す環境作りにおいて運という要素はやはり欠かせないだろう。我々は努力や才能によって道を切り開きたいという願望はあれど、自分が思っている以上に運という不確実な要素に絡め取られている気がする。自分自身も人生の生きてきた軌跡に後悔はないけれど、他人からの憎悪や悪意を向けられるたび無力感を感じることも少なくない。

そんな思考の果てに最近『運のいい人の法則』という本を読んだ。自分は知らなかったが、ちょっと前にベストセラーになったらしく、もしかしたら読まれている方もいらっしゃるかもしれない。自分自身、形式知としての方法論の収集がライフワークだったので、どちらかというと不完全な運という要素に意識的なのか、無意識的なのか触れずじまいだった。このような類いの本は宗教関連に絡めがちなのであまり好きではないのだが、この本はどちらかというと中立的な立場に立って運という要素を概説していたので非常に助かった。

この本が示すところに、運を鍛えるには4つの要素があると言われている。チャンスを最大限広げること直感を信じること幸運を期待すること不運を幸運に変えることだそうだ。一つずつ見ていこう。

チャンスを最大限広げると言うことは、確率論における大数の法則を最大化することだ。宝くじを何回も当てている人を分析したところ、簡単な話で、良く当たる人は良く応募している、という事実だった。以前『運は数学にまかせなさい』という本を紹介したが、結局のところ特段に運がいい人、というのは存在しないそうで、必ず確率の範囲内で幸運は揺れ動く。しかしながら幸運を引き寄せるためにはチャレンジや人との縁をつなぎ、チャンスが訪れやすい環境を自ら作り出していくことが肝要なのだと述べている。これはなかなかしっくりくる。

次に直感を信じるとは言葉そのままの意味だが、特に恋愛面などのケースにおいて、ファーストインプレッションでしっくりこない場合はそれは直感が感じ取っているからだ、というものだ。以前何かのデータで見たが、一目惚れで結婚した場合離婚する確率が極めて低いというモノがあった気がする。結婚も性愛的側面、社会的側面など様々な関係値や評価があるので離婚しないから良い、というわけでもないだろうが、意外と軽視しがちな直感も捨てがたいそうだ。

幸運を信じること、とは信じる者は救われるではないが、自分は幸運に導かれているというなんとなくの確信がかえって幸運を引き寄せることとなるそうだ。人生とは時間や生体エネルギーをチップとしたポーカーゲーム、と自分は捉えているが、自分における最適解を積み上げたところで必ずしも良い結果が望めるわけではないところが難しいところである。その人生の時点において、提示された結果をどう解釈するかは各々に委ねられている。世界三大投資家のウォーレン・バフェットさんは昔ハーバードビジネススクールに落ちてしまったそうだが、そのことがかえって自分の投資家としてのキャリアを形成した、と語っているそうだ。驕れる(おごれる)者久しからず、勝って兜の緒を締めよという言葉もある通り、人生における最適なスタンスとは期待値の高い言動を積み上げ、根拠無き希望を持ち、日々を過ごしていく、ということに尽きるのかもしれない。

不運を幸運に変えること、というのは幸運を信じることにも若干被るが、一つの事象に対して多面的捉えることが肝要、ということである。どうしても現時点におけるマイナスの側面に我々は目を向けがちだが、隠れたプラスの面を見つけるという作業も意外と大事なのかもしれない。創作関連の本を読んでいたときに、昔はそういう思考の補助に聖書や太古の物語が一役買っていたのだが、宗教の形骸化や時代の進歩によりそういった側面が忘れ去られているという話も聞いたことがある。この類の話だと、万事塞翁が馬の故事の由来のエピソードを引用するのが自分は好きだ。ある老人が息子に馬をあげたところ、馬から落馬をして息子が足を折ったことはマイナスポイントであれど、足を折ったことで兵役を免れ、戦死しなかったというモノである。このように結果から逆算して考えてみてようやく全容が見えてくるのが人生なのかもしれない。今では否定されているようだが、キリスト教の予定説に基づいた本で『死後世界地図』という本がある。自分も高校時代に読んだが、曰く全ての事柄は生まれる前に自分が計画し、既定されているものの、自分自身はそれを知らず、人生を生きているのだそうだ。俯瞰的に見れば、結末の分かったストーリーはつまらないし、自分自身が生きていると感じる瞬間はやはり自分自身で道を切り開いたときだろう。どうせ分からないのなら、成功を確信して今このときを生きる、それが正解なのかもしれない。

いかがだっただろうか。マキャベリは『君主論』の中で、人生の半分は運によって左右されると説いた。先日亡くなられたさいとうたかを先生の『ゴルゴ13』ではプロの条件として、「10%の才能と20%の努力…そして、30%の臆病さ…残る40%は…運だろう…な…」という名言を残されている。我々の生きる現世では一部の例外を除き、不完全情報ゲームである。不完全情報ゲームにおける優位性は、その中の期待値を最大化する以外に方法論としては存在しない。即ち本質的な人生における期待値を最大化することは、本質的確率を最大化することと、今まで述べてきた運に対する解釈を身につけることしかない。学業であれ、ビジネスであれ、投資であれ、恋愛であれ、皆さんの運が最大化することを願っています。

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