【雑記】桜舞い散るこの季節に

【雑記】桜舞い散るこの季節に

ケツメイシの名曲「さくら」の新MVが先日公開された。旧MVと新MVにてどちらの方がいいという論争が巻き起こっていたが、個人的にはどちらも素晴らしかった気がする。(新MVの韓国要素いらなくねっていう意見も同意できる面もあるけれど、あれはavex側からの苦境にあえぐ航空業界へのエールだったのではないかと思っているので、あれはあれで良いのではないだろうか?)

旧MVでは鈴木えみさんと萩原聖人さん、新MVでは伊藤あさひさんと久間田琳加さんが主演だった。男目線での感想になるが、旧MVの鈴木えみさんの儚げな美しさも情緒的だったし、久間田琳加さんの夢に向かって元気いっぱいに頑張る姿も素敵だった。萩原聖人さんの不器用な愛の演出も、伊藤あさひさんの素直に伝えられない愛もセンチメントでグッときた。

恋というモノは不思議なモノだ。元来食欲、睡眠欲、性欲のみが動物としての本能であると思われるが、時としてそれを超越した存在として恋や愛が存在し、ヒトは時としてそれに惹かれる。性愛としての一部が発露したモノなのか、幻想なのかわからないが、ひとまず言えることは所有欲、愛欲、独占欲、保護欲など複雑な欲が折り混ざった不思議で複雑なモノなことは確かであろう。それ故に愛とは主観的なモノであり、時として相互間で反発してしまう。エヴァの加持さんの台詞によると「彼女というのは、遙か彼方の女と書く。女性は向こう岸の存在だよ。我々にとってはね。男と女の間には、海よりも広くて深い川があるってことさ」と述べている。我々は理解することができないが故に理解しようとする行為に愛という尊さを感じるのかもしれない。

コロナにより我々の環境は激変した。学生の皆さんは卒業や別れのシーズン、社会人の方は環境の変わるシーズンだろうか。合理的なロマンチストがかける言葉とすれば、恋の結末がたとえ別離であろうと、愛するモノを理解しようと懸命に生きた過程は残ると私は信じている。なぜなら私たち人間は過程や過去に生きた存在を残し、結果として死を迎える過程的な存在だからである。懸命に生きた過程を積み重ねることこそよりよい未来を切り開くただ唯一の道だと思う。そんな独り言を名曲「さくら」を聞いて思った次第である。皆さんは何を感じただろうか。それぞれの思いを胸に歩みを続けていって欲しい。それが私からのエールである。

※さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる
 吹き止まない春の風 あの頃のままで
 君が風に舞う髪かき分けた時の 淡い香り戻ってくる
 二人約束した あの頃のままで
 ヒュルリーラ ヒュルリーラ※
 さくら散りだす 思い出す 意味なく
 灯り出す あの頃また気になる
 変わらない香り 景色 風
 違うのは君がいないだけ
 ここに立つと甦る こみ上げる記憶 読み返す
 春風に舞う長い髪 たわいないことでまた騒いだり
 さくら木の真下 語り明かした
 思い出は 俺 輝いた証だ
 さくら散る頃 出会い別れ
 それでも ここまだ変わらぬままで
 咲かした芽 君 離した手
 いつしか別れ 交したね
 さくら舞う季節に取り戻す
 あの頃 そして君呼び起こす
 花びら舞い散る 記憶舞い戻る
 気付けばまたこの季節で 君との想い出に誘われ
 心の扉たたいた でも手をすり抜けた花びら
 初めて分かった 俺若かった
 この場所来るまで分からなかったが
 此処だけは今も何故 運命(さだめ)のように香る風
 暖かい陽の光がこぼれる 目を閉じればあの日に戻れる
 いつしか君の面影は 消えてしまうよ 何処かへ
 あの日以来 景色変わらない
 散りゆく花びらは語らない
 さくらの下に響いた 君の声 今はもう
 (※くり返し)
 そっと僕の肩に 舞い落ちたひとひらの花びら
 手に取り 目をつむれば君が傍にいる
 (※くり返し)
 花びら舞い散る 記憶舞い戻る
 花びら舞い散る

歌:ケツメイシ
 作詞:吉田大蔵 
作曲:田中亮

引用 ケツメイシ「さくら」より
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