【雑記】メンズファッションを考える

【雑記】メンズファッションを考える

男にとって卑近で個々人によってとらえ方が違う代表的なトピックス、それがファッションだろう。女性のお金の使い道としてコロナ環境下で出費は減っているものの美容代(化粧品も含む)は一定の地位を占めているが、男性の出費において上位に来ることは少ないだろう。その一方で服オタなんて言葉があるように食費や生活費を削ってまで服につぎ込む方もいるから面白い。その服の買い方にしてもハイブランド(古着も含む)しか買わない、とか中価格帯で組み合わせを楽しむなど趣向も様々だ。ファッション雑誌も年代別に乱立している印象を受ける。自分自身とりわけオシャレだ、というわけでもないのだが歳を重ねるにつれ不思議とファッションが気になってきた。どちらかというとめんどくさい方のタイプの人間だったので、この変化は自分でも不思議な感触である。とはいえ何を購入・選択するのか、論理的な回答が見つからないままである。雑誌を読んでみたりyoutubeのファッション系の動画を見たりするのは好きなのだが、感触的につかめないところもある。そこでAmazonを検索していたところ「ファッションの哲学」なんて大層なタイトルがついた本を見つけたので購入してみた。

時計一つをとっても面白い世界だ。

そもそもファッションとは不思議な行為である。元来お猿さんに近しい我々の祖先は服など着ていなかった(股間を葉っぱで隠すぐらいはしていたのかもしれないが)だろうに、現代社会では服を着ていないと不審者として即通報となってしまう。ということはファッションとは自己表現だけではなく、社会的な意味合いも含んでいることを意味している。では画一的な服さえ存在すればいいか、というとそうでもないらしい。ロシアにおいて旧ソ連時代、服は配給制だったそうだが、その配給された服でさえもボタンを変えてみたり、裏に刺繡を施してみたりなど皆与えられた環境でファッションを楽しんでいたそうだ。すなわち人間は自我がある故に同一性を嫌うといういい事例なのである。この二つの事例から考えると社会的に許容されるラインで自己を表現できるもの、これがファッションの本質なのかもしれない。

↓↓↓脱線するが、ストリートファッションの歴史を知るにはこの本が面白かった。↓↓↓

自分もそうだが、服にせよ何にせよ上質なものを所有したいと思う一定の層がいるだろう。特にお金持ちの方のファッションを見ているとそう思う。(ルイビトンをはじめとするハイブランドのオートクチュール系が顕著か。)しかしながら本文中の言葉を借りれば「高くて良いものなら自分を良く語ってくれるはずだ、と思っているが高くて良くなるほど物が自分に所属するのではなく、自分が物に所属していく」という矛盾に苛まされる。流行りものについても同様である。当たり前の話だが、オーダーメイドを除き基本的には与えられた選択肢(売られている商品)のなかで自分を飾ることになるのでその選択によるなんらかしらのイメージからは逃れることはできない。自分を表現しているようで自分が物に帰属してしまう。(〇〇〇を着ている〇〇さんといったように)これが難しいところである。前衛的な作風で知られるファッションデザイナーのマルタン・マルジェラ氏は「僕の洋服を着る人は個性的に見せたい人だ。本当に個性的な人は「GAP」なんかを着ているんじゃないか」とも語っている。

歴史を紐解くと昔は王族の方だったり高貴な身分の方しか着れない素材や服が結構あったそうだが、現代見渡してみると特に思い浮かばない。金銭的な制約としてハイブランドが買えない、ということはあると思うが、極端な話ファッションにおいて金銭的な制約がなければ基本的にどのブランドもアプローチ可である。すなわち暴論を述べればファッションとは非言語による経済性の示唆とも言い換えられてしまう。ではハイブランドに身を包めば正解なのか、と言われると今度は成金趣味などどいう望ましくない評価を受けるリスクも発生する。こうして考えてみるとなかなか難しい。またイケメンが着る服とそうでない方が着る服を交換すると服の印象がガラッと変わってしまう。なんとも悲しいハロー効果の証明にしかならないが、ある一定の仮説を導き出すこともできる気がする。それはファッションのかかわり方として服とは自分の身体的魅力を引き上げるものであり、経済性・社会性・教養を表現するものであるということである。ハイローミックスなんて言葉もあるとおりハイブランドとファストファッションを組み合わせてみるのもその一例だろう。

こうしてみると外見の補正は結構強いのだなぁとも思える。

結局、男の服は普通がいい」の著者が大御所スタイリストの言葉として、「結局突き詰めるとその人のキャラクターなんじゃないかな。どんなにスタイルが良くたって中身が薄っぺらいと洋服を着せても薄っぺらいんだよね。(中略)洋服なんておまけみたいなもんで。」と語っていたそうだ。現在奮闘しているウクライナのゼレンスキー大統領のようにTシャツ姿でも様になっている方もいる。思えば最適解が提示されはじめている食事や習慣に比べてファッションは裁量性や自由が残されている現代的な最後の砦なのかもしれない。自分はこのデザイナーの作品が好きだ、といって服を選ぶのも正解だし、組み合わせを楽しむのも正解だし、服にお金をかけるなら違うことにお金をかけたいということも正解である、という結論を導くことができる。こうした裁量性をめんどくさいと取るか面白いと取るか。改めて考えさせられたトピックスだと思った。

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